名前:宮本浩樹 投稿日:2006/11/04(Sat) 20:06 No.418
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はやしもフニャコもヒマらしい…。 じゃあ、チャットするしかないじゃん!!
今宵、いつもの通り 22時から始める! ええやろ? |
| 73) 投稿者:どろ 投稿日:2007/04/29(Sun) 16:55 No.794 |
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そうそう。
で、弟子が「よう殺しません」て言うんですよ。 すると親鸞が 「殺せと言っても殺せない時もあり、殺したくなくても千人殺さざるを得ない場合もある。」と。
善人ぶってる人間だって、環境が変われば善い顔ばかりはしていられない。 大したことない人間だって、苦労せずにすむ環境なら悪いことせずに生きていける。 人間の機縁でええとか悪いとか、阿弥陀如来はそんなケツの穴の細かいこと考えてはりません、と。
人間が自分の力で浄く正しく生きられるのなら、阿弥陀如来はいりまへん。 この世は釈迦如来の時代から遠く離れ去った、末世。五辱悪時悪世界。 しかもそこに住んでるのは我々ごときの凡夫。 誰もろくなこと考えてへんし、それ以外のことは考えられへんのが、我々です。 そやさかいにこそ、救ってやろうという阿弥陀如来がおわすんだす、とか・・・・そんな話でしたね。 |
| 74) 投稿者:どろ 投稿日:2007/04/30(Mon) 15:53 No.796 |
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浄土真宗の教えは、旧約聖書に比較すれば、より倫理的です。 哲学としても高度なようです。 しかし、これをあまり自慢は出来ません。 ウチの浄土真宗を含む浄土教(阿弥陀如来信仰)はキリスト教の影響を受けているという学説があって、どうやらそれは本当らしいのです。 浄土教は3世紀〜5世紀にかけて、ガンダーラで発生した信仰です。 ということは、お釈迦様が説いた教えであるはずがないわけで。 根本聖典とされている『大無量壽経』の出だしの部分には、「これはおシャカさまの弟子達が直接聞いた教えであるぞよ」ともっともらしく書いてあります。 でも真っ赤な大ウソです。後代の人が作ったニセモンのお経です。 時代的にはキリスト教の影響を受けても不思議ではない。 教えの構造がキリスト教にうり二つですし。 旧約聖書には現代の我々の感覚ではついていけない残酷で身勝手な教えが沢山あります。キリスト教はイエスを媒介にすることでその部分を克服して、世界宗教になりました。 時代的により洗練されたキリスト教に触れて感動したガンダーラの仏僧が、その教えを仏教思想に取り入れ、出来上がったのが浄土教。
だから旧約より倫理的で受け入れやすいと言っても、それはいわば後出しジャンケンみたいなもので・・・・。 うげ、こんなこと書いてたらご住職に叱られるわ(^^;) だから読みにくい灰色です(^^) |
| 75) 投稿者:宮本浩樹 投稿日:2007/04/30(Mon) 20:13 No.797 |
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つっこみが遅れて連続投稿させてしまったようで…、すみません。
なるほど、そうだったんですかぁ、なんてわざとらしいボケはやめときますが、 僕が灰色を使ってるのはちょっと違う理由からなんですが、その辺の話しはいずれまた。 |
| 76) 投稿者:けいこ 投稿日:2007/05/01(Tue) 07:57 No.798 |
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ちょっと戻らせてもらいます。 歎異抄の話にも旧約聖書に書かれた話にも、信仰の厳しさ、のようなものを感じます。 モーセが百万人を越える民を率いて、荒野をさまよっていた時、神の律法を守るということは何よりも重視されたことの一つだと思います。クリスチャンである妹の解説によると、レビ人は祭祀を司る役割を担う人びとで、にもかかわらず堕落した時に、モーセがそれを命じたとか。 歎異抄の話は、絶対他力を説く話で、親鸞が唯円に「ほんとうに」1000人殺せと命じたわけではないとは思いますが、それでも師と弟子の間で交わされたこの話は、信仰の根幹に関わる、とてつもなく重い話だと思います。 時代背景や、当時の人びとの意識や、師と弟子の関係は、そこに生きた人でなければわからない、と思ってます。 (ひょっとしてネタにマジレス、だったらすんません) |
| 77) 投稿者:どろ 投稿日:2007/05/01(Tue) 17:17 No.800 |
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>ひょっとしてネタにマジレス、だったらすんません
あ、こちらこそごめんなさい。 信仰をもっている人に対して、普段は面と向かってこんな話はしないんです。 人の心を傷付ける行為ですからね。ネットの気安さで、ついいらぬことを書きました。 宗教について色々思うところはあるのですが、なかなか微妙な問題です。
市民運動を一緒にやっているご住職(浄土真宗です)がおおらかな人で、私のアホな教理解釈を真剣に聞いて突っ込んでくれます。 浄土教が後代の教えであって釈迦自身のものではないというのは、このご住職から聞きました。 でも浄土の教えが釈迦の思想と異なっていないことを自分自身で確認するため、60歳過ぎてからインドの仏教哲学を学びに大学に入り直したというすごい人です。 そういう人に巡り会って、私は運がいい。 ただし信仰心はちっとも芽生えてきませんが・・・・。
>レビ人は祭祀を司る役割を担う人びとで、にもかかわらず堕落した時に、モーセがそれを命じたとか。
3000人の話については私なりの感想はあります。 でも私は旧約聖書を信仰の書としてではなく、歴史書として読んでいますから、信仰の立場とはあまり接点がないんです。 「古事記」にも通底する古代人の思惟様式という面で、とても興味深いなあと思っています。 |
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